これまでに、石州犬と中村鶴吉さんについて調査・研究するために、2回ほど上京いたしました。ここでは、その様子(珍道中?)をご紹介いたします。
文章:かわべまゆみ
●第1回 2017年8月23日〜26日(3泊4日)
夏2017年の夏、私は石州犬研究室のメンバーでもある夫「カワベヤスオ」とともに、中村鶴吉さんの情報を収集するために、上京いたしました。
実は、東京にも石州犬研究室の仲間がいて、そのメンバーも一緒に、三人での調査活動となりました。
【国立国会図書館へ】
書籍や文献などは、国会図書館のデータベース(WEB上)で調べていますが、中には持ち出し禁止や複写禁止のものもあります。
そういうものは、やはり直接出向いて行きます。この時も、そういう資料を確認しましたが、このとき確認したかった文献は、同姓同名の別の人(当時の警察官)でした。(調査は、空振りもけっこう多いです!)
さて、こちらは、昭和の初めの「東京市城東区(現:東京都江東区)」の地図です。
古い資料から、中村鶴吉さんの当時の住所が「東京市城東区大島2丁目764番地」とわかりましたので、江東区役所に問い合わせて、現在該当する住所を教えてもらいました。
国会図書館にその当時の地図がありましたので、コピーしてもらい確認したところ、江東区役所で教えてもらったものと一致。
ふたつのソースが合致したので、確実でしょう!
では、その住所に行ってみましょう〜ワクワク
【中村鶴吉さんの当時の住まいがあった所へ】
昭和11年ごろに、中村鶴吉さんの住まいがあったと思われる場所を尋ねてみました。
昭和の初めに江東区大島2丁目に住んでいらした中村鶴吉さんという方を探しています!
という、このチラシを配りながら私たちは(たぶん、アヤしい…と思われながら)大島2丁目にて捜索活動を行いました。
もちろん、むやみやたらにチラシ配りというよりも、80年以上前のことですから、古い情報を持っていそうな、場所や人を中心に訪ねました。
たとえば、お寺のお坊さんや老舗の銭湯の番台さんなど。
私は、その銭湯にも入り、湯船の中でご高齢そうな方にも聞き込みました。90歳ということですので、当時10歳くらい!何かご存知かもと思ったのですが、江東区には最近引っ越してきたとのこと。
また、私が銭湯で聞き込みを行っている頃、夫たちは、町内をめぐり、道を歩いていた人たちへの聞き込みを。なんと、偶然、町内会長さんにも出会えたそうですが、中村鶴吉さんのことはご存知ありませんでした。
当時の番地が示す地域は、かなり広いのですが、
そのど真ん中にあるのが、この中華料理屋さんでした!
もちろん「ごめんくださ〜〜い」とノレンをくぐり、お店での聞き込みを。中には、地元の方が何人もいらして、親切にお話を聞いてくださり、あの人なら知っているかも!とご存知のご近所の方々にも、聞いてくださったりと、東京とはいえ、下町は人情細やかです♫
こちらの中華屋さんの大将が、「あの人なら知っているかも!」と、紹介してくださった方のところに行くと、「確かに、ここに中村さんという人が住んでいたけれど、数年前に引っ越したのよ。引越し先は、不動産屋さんなら知ってると思うわ!」とのこと。
この方のお話では、いろんな要素が、中村鶴吉さんと重なることが多く、これは、結構期待できる!!と、実感しました。
そして、日を改めて、その不動産屋さんを訪ねることとしました。
やっぱ現地に来るもんやね♪
と、ワクワク!!!
【日本犬保存会へ】
神田駿河台にあります(公社)日本犬保存会へ!
こちらでは、理事の方や事務局長さんにお会いすることができ、貴重なお話をたくさん伺うことができました。
また、石号の血統書やお宝物の資料などを拝見させていただくことも!!
さらに、ここで謎多き中村鶴吉さんの「写真」が載った本を見せていただきました。初めてみる中村鶴吉さんのお姿に感動!!こんな方だったのですね〜〜!!
と、ここで皆様にご紹介したいのですが、残念ながら中村鶴吉さんのお写真は、著作権等の関係で、掲載できません。(すいません)
ちなみにその本は「往古日本犬写真集」というタイトルで、著者は「岡田睦夫」さんという方です。
その本は絶版されていて、書店では買えません。もともとは3600円の本ですが、ネットで調べるとその頃は、相場が4〜5倍くらいしましたが、中村鶴吉さんの写真が掲載されている貴重な本ですので、がんばってゲットしました!
(ちなみに、この本が、きっかけで私は岡田睦夫さんを知ることができ、多くのことを勉強させていただきました!)
【大島2丁目の不動産屋さんへ】
さて、中華料理「千島軒」で教えていただいた不動産屋さんへ翌日行ってみました。
若くてまさに江戸っ子!といったチャキチャキの女性オーナーさんです。
とても親切で「その方なら鹿児島へ引っ越されましたよ」と、その場で中村さんに電話をしてくださいました。
が、その中村さんは、「中村鶴吉さん」のことはまったくご存知ありませんでした。
すると女性オーナーさんが、「そういえば、近所に中村さんがもう一軒あったわ!」と、昔の資料などから連絡先を探してくださいました。
その方は、千葉にいるそうで、これまたすぐにお電話してくださったのですが。。
オーナーさんのお電話の様子を、私たちは、ただただワラにもすがる思いで見守るばかりでした。。。
が、こちらの中村さんも、まったくわからないとのことでした。。。
「ごめんなさいね。探してる方ではなかったようで・・。」
「いえいえ、とんでもありません。せっかくお骨折りいただいたのに、こちらの方こそ、申し訳ない限りで、あのお電話代を!」と申し上げても「いいですよ!お役に立てなくて」と、言って受け取ってはいただけません。
あまりに、申し訳ないので、せめてお礼にと、ホテルに戻って、島根からお土産で持参した日本海の板ワカメをお持ちして、再度お礼に伺い失礼しました。
それから、「千島軒」さんに、そのことの報告兼お礼兼晩酌に行きました。
大島2丁目の皆さんの親切への大きな感謝と、中村鶴吉さんの消息が見つからない残念さとが入り交じった複雑な思いのまま、翌日には3泊4日の調査活動を終えて島根に帰りました。
80年前の人探しは、無謀でした。
【島根へ・・・】
もうこれ以上、新しい情報を得るのは無理かもと正直思いました。
島根の山の中では、80年前の石号が飼われていた家も、飼っていた下山信市さんの子孫の方も見つかりましたが、東京の80年の壁は大きい。。。。特に戦争ですべて焼けてしまったので。 (実は、江東区の昔の戸籍から中村鶴吉さんの消息を知ることができないものかと、ある方を通じて、江東区長様まで、お手紙をさせていただいたのですが、当時の戸籍は消失し、残っていないとのお返事をいただきました。)
島根に帰っても、力が湧かず、何もやる気が起きない状態が続きました。
もちろん、現地での数日の調査で中村鶴吉さんを見つけられるとは思っていなかったです。そんな甘いもんとは、思ってはいませんでした。でも、いろんな方のお話で、勝手に期待してしまったから、意外にダメージ大きいです。
来月は、もう還暦でおばあさんなので、まあ、ここまででいいか。
年寄りにしては、この数ヶ月間よくやったよ。。。
第1回目の東京調査は、多くの収穫があった一方で、個人調査の限界を感じる結果となりました。
その後、なんとか気持ちを立て替えて、調査・研究活動を再開。
特に、島根県立大学の豊田先生のゼミで、石州犬がフィールド活動のテーマとなり、学生の皆さんとも一緒に調査・研究・広報活動をさせていただきました。
そのことがきっかけとなって、地元の新聞にも大きく紹介され、それを見た地元のテレビ番組からの取材依頼。
その番組をご覧になったという浜田市弥栄の中村健次さんという方から「あなたが探している中村鶴吉は、私の祖父の弟ではないかと・・」というご連絡をテレビ局を経由でいただきました。
早速、その方にご連絡をして、それぞれが持っている情報を確認しましょうと、お宅へ伺いました。
私たちが探している中村鶴吉さんとの共通点は、「石見出身で、東京で歯科医をされていた」ということだけでした。
ただ「こちらのご親戚の中村鶴吉さん」は、明治28年(1895)2月2日生まれとのことで、私たちは、もちろん「石州犬を山出しした中村鶴吉さん」の生年月日など、知るよしもないですが、唯一見たことのある中村鶴吉さんの写真が、昭和11年のもので、推測するに30代後半から40歳くらいではないかと思われていたのですが、この生年月日でしたら、当時41歳頃ですので、ぴったりとあいます。
100%の確証はないですが、大正の時代に「島根県石見地方出身」で「歯科医」で「上京」し「年代もほぼ一緒」の「中村鶴吉」という同姓・同名・同職業・同郷・同年代の人が、複数いるとは思えません。
ただ気になるのは、「こちらのご親戚の中村鶴吉さん」が住んでいたと思われる東京の住所が、私の知っている住所(戦前のもの)とは異なることでした。もちろん、戦前と戦後の違いは、大きいですので、それはあまり問題ではないかとも思われました。
まずは、私たちが探している「中村鶴吉」さんに、ほぼ間違いがないと思われました。
すると、その翌日・・・。
このHPの「お問い合わせ」から、驚きのメッセージをいただきました。
それは、こういう文章からはじまるものでした。
・・・・・・・・
私の祖父は、東京にて歯科医をしておりました中村鶴吉といいます。
お探しの中村鶴吉さんと同一人物の可能性があればお伝えした方が良いと思いご連絡させていただきました。
・・・・・・・・
そして、その方がご存知の「中村鶴吉さん」について、職業や住んでいたところなどを教えていただきました。
私が知っている中村鶴吉さんとの共通点は
これまた「東京で歯科医をしていた」ということだけでした。
お孫さんは、島根出身であることや故郷の石州犬を山出ししていたこと、その中の一頭が、現在の「柴犬の祖犬」になったことなどは、まったくご存知ありませんでした。
また、教えていただいた住所も、私が見つけた「(現)江東区大島2丁目」ではなく、「江戸川区西小岩」でした。
かなり近いとはいえ、まったく違う住所でした。
ただ、この西小岩の住所は、1日前に、浜田市弥栄で教えてもらったものとまったく同じだったのです。
少なくとも、中村健次さんのおじいさんの弟さんである「中村鶴吉」さんと、このお孫さんのお祖父さんの「中村鶴吉さん」は、同一人物であることは、決定的になりました!
つまり、このお二人は、それぞれの名前も存在もご存知ないけれど、お祖父さん同士が兄弟という、いわゆる「はとこ・またいとこ」さんだったのです。
そのお二人から、ほぼ同時期にご連絡をいただいたことは、ものすごい偶然というか、ご縁だなと思いました。
●第2回 2018年7月6日〜9日(3泊4日)
そして今年の夏、またまた私は石州犬研究室のメンバーでもある夫「カワベヤスオ」とともに、石州犬の研究&広報活動のために、上京いたしました。
今回も昨年同様、東京在住の石州犬研究室の仲間と共に、3人での調査活動となりました。
今回のメインの活動は、中村鶴吉さんのお孫さんにお会いする事です!!
【中村鶴吉さんの当時の住まいがあった江東区大島2丁目へ】
まずは昨年、お世話になった、中村鶴吉さんの住まいがあったと思われる場所の「中華料理屋・千島軒」さんと、不動産屋さんに中村鶴吉さんのお孫さんに出会えたことをご報告に伺いました。
この様子をなぜか動画撮影していますので、ご紹介します!
さらに続きます!!
つ・づ・く♪