貴重・資料館


様々な調査を通して見つけた書籍や文献、資料の中から、あまり知られていない貴重なものを紹介いたします。


●中村鶴吉さんの書いた原稿 

 

昭和日本犬の検討 犬の研究社 昭11.

中村鶴吉氏 山陰犬

特に石州犬について

 

 

最近畜犬界に於いて目覚ましい一大躍進をしてきたのは、日本犬である。この日本犬種の中にても石州犬は、吾が犬界に非常なる関心を持って研究されるに至った。元来日本犬なるものは、どんな種類の犬であるかと云ふに、我々の祖先と共に日本の国土に棲み、而かも我らの忠僕として、又、好伴侶として生活してきたものである。この日本犬が、なぜに石見国地方に優秀なる種類として純潔を誇りつつ残存しているか。その理由としては、神代の当時よりして、山陰地方特に島根県下一般は神の国とまで称された程に、素戔嗚尊の高天原より出雲の国に降り給ひ、八岐大蛇を退治せられたのを初め大国主命は出雲に施政をたれさせられ、この地が今の東京とも申すべき、文化、施政の中心地帯たりしことは、何人歴史上熟知せることである。

 

この如く神代の当時より歴史的に有名なりし島根県下も、地理的、特に天険的に後世文化の中心点より遠ざかり、文化移入の鉄道の建設も日本内地としては、極く最近に於いて完通せる有様で、特に島根県下においても、出雲地方は、文化の程度高く、交通機能も比較的早く完成せるため、自然的に石見地方の中国山脈地帯なる高原奥地の天険的地帯に、優秀なるこの神代当時より純血を保てる日本犬の残存せらるるに至ったのである。

 

最近に至っては、山陰線の線路も全通し石州地方においてすら奥地に向かって段々と交通文化の度を増すに至り、この石州犬の残存地点は、島根県下、那賀郡、美濃郡、鹿足群の中国山脈地帯なる高原地方で、鉄道駅より自動車にて半日もかかり、自動車も入らぬ山道を十里、二十里も入り、それより道無き山を、隣の猟師の家まで七里、こちらの酒屋へ五里、あちらの煙草屋へ四里という、高原地帯の昼間は狸、狐、毒蛇、鹿、熊等の出歩く地帯に侵入せざれば、この石州犬を発見するにいたらぬ状態成って、而も、段々と減少するのみとなった。

 

石州犬の日本犬としての特徴は

一、性質。

悍威に富み素朴の感を有す。動作敏捷、歩様、軽快にして弾力性を有す。

二、一般外観

骨格緊密にして、筋腱の発達良く、体高一尺二寸乃至一尺五寸の小型種及び体高一尺六寸乃至一尺八寸の中型種を有す。

三、耳。

耳は最も短小にして、三角形をなすを一大特徴とす。

四、眼。

三角形の強く眼力を有する一種独特の眼を有し、虹彩は濃茶褐色を呈す。

五、口吻。

鼻梁直にして力強く尖り、鼻鏡黒色にして、緊り(しまり)口唇は力強く緊り、特に強大なる歯牙を有す。

六、頭、頸(くび)。

額広くして頬部の骨格、筋肉はよく発達し、頸は、太く力強く発育す。

七、前肢。

肩甲骨良く発達し、傾斜適度にして、下膊(かはく、肘から手首)直にして趾(あし、あしゆび)は緊握(きんあく)し、狐足の型を特徴とす。

八、後肢。

力強く踏ん張り、飛節強健なり。

九、胸。

胸は特に深くして、肋(あばら)適度に発達し、肺活量の強大なる事。前胸部もまた発達良し。

十、脊(せぼね)、腰。

垂直にして、馨甲(きこう、首の根元の背骨のもっとも高く盛り上がった部分)部の発達は、他犬において見得られざる程なり。腰は強靭にして、特に筋肉良く発達す。

十一、尾。

太く力強くして長くも、短くもなく、右巻尾を一大特徴とす。

十二、被毛。

表毛剛にして、直立し、綿毛軟にして密生す。

尾毛は稍(やや)長く太硬毛の開立、実に優美なり。

毛色は、赤、赤胡麻、黒、黒胡麻、赤虎を特徴とす。

特に、那珂郡の中国山脈地帯の高原奥地に於いては、シェパード種に見るブラック・アンド・タン色、即ち脊黒の四肢、頬部、濃茶褐色のモダン色の中型、小型のものを認むる。

 

ご参考までに本年第三回目の石州犬探査記を左に誌そう。

九月上旬、京都駅より山陰線に乗り換へ、約二十時間にして、石見益田駅に着す。自動車をやとって山道約十里にして三隅部落に至り、是れより徒歩にて、芦谷峠に入る。それより伊野に出で、向野田部落、西隅部落、河内部落、下古和部落、矢原部落を縦横に訪れ、山又山、谷又谷約二十里、続いて昼なお暗き山路を狸の香のする、何となく気味悪い道無き山を、人の踏んだと思う草の踏みつけられた所を、毒蛇を払いながら、急ぎ山を登るところ二里にして失原の山崎老猟師の宅へ着した。山崎老人の自慢の犬を二頭拝見するも、これまた、駄犬であったのでガッカリ、二の句が出なかった。山崎老人の話ではこの地には、二三年前までは、日本犬は数頭いたものだが、今は一頭だに見当たらないという。老人の駄犬で、狸の生捕法を拝見させてもらったが、中々うまいものであった。犬を連れて、裏山に行き、犬がどこからとなく一頭の狸を、追い出してきた。狸は、木に登る。老人は麻綱を投げて、狸の首にかけ、簡単に生捕りにする。実に、吾々が、蝶かとんぼでも採る様に簡単なものであった。

これより再び山又山、谷又谷を行く事約十里、小原部落、仙道部落、久原部落に出でた。此の地に至り、耳の短小なる中型種で、赤胡麻色の日本犬を五、六頭拝見した。此の地の久原山は、有名なる山犬の棲んでいる所であると土地の人は云う。一昨年も七頭も山犬を猟師が捕ったとのことである。これより都茂部落、丸茂部落、山本部落を経て、二村部落、宇津川部落を縦横に約十里を歩き、山田猟師の宅を訪問し、石州一の名犬、神風号を拝見した。(※神風号は、日本犬保存会の第五回展に石号と共に出展されたとの記録もあり)この家宝としている神風号こそ、吾が石州犬の代表的の牡であった。

これより坂井川部落、上古和部落、黒澤部落、程原部落に行く。その里程、縦横に歩く事約十里、数頭の日本犬を拝見した。これより木都部落に行き、野坂部落に着した。その里程、約4里くらい、この地は有名なる石州犬産地として名高きところであるが、今は一頭だに日本犬なし。名犬ユワ号の出生地は、この野坂部落である。

これより城ケ峠を上り、井野口にいたり、周布台を通過し、大麻山に至る。この地は、有名なる井野号の出生地ほどあって、二、三頭の日本犬中型のものを見た。それより阿佐山を猟場とする獣猟師の宅を、二、三訪問した。この地は、吾輩の愛犬栃号の出生地である。二、三の中型犬を拝見した。この地は、野生犬殊に多く、土地の人々は山犬と言っているが、この地一帯の山犬は、家犬の野生化せるものであろう。

これより野坂峠を超え、石南峡に出で一ノ瀬部落に至り、自動車にて浜田駅に着した。

 

以上述べたるごとく、年々と我が石州犬の数は減少し、最近の探査によると、その数、ほとんどまったく無き有様である。筆者は非常に此れを遺憾とし、神代の当時より連綿として残存せる国粋犬たる石州犬の繁殖を、科学的に研究実行している。

 

 

中村鶴吉氏

 

東京で歯科医院を経営の傍ら故郷島根県産日本犬の宣伝作出に尽力す。


島根県那賀郡調査記

中村鶴吉さんのお宝原稿

 

 

三月下旬京都駅より山陰線に乗り換え、十七時間にして浜田駅に着す。自動車を駆り山道約五里にして一の瀬に至り、徒歩石南峡に入る。この地少しく体型の悪しき日本犬一、二頭を見る。野坂峠を超え、野坂部落に着して宿る。今春死去したユワ号の出生地にして多く牝を飼育する風あり、皆小型犬にて尾は右、左巻きのみにて毛色黒、赤等なり。

 

土地の猟師三名に依頼して野坂より平田峠を越え西の郷に至り、各戸の猟師を訪問して赤ゴマ毛牡、その他二、三を見る。次に木都賀に出て中型、赤、猪犬型のもの二、三を見、再度西の郷部落を横断して城ヶ峠に入る。この山地において最も交通なき所にて猟師のみの通路という。

 

この辺の猟師一般に牝犬を飼育することを好み、たまたま牡犬を飼育するも牝犬の発情期に至れば数里を遊び、なお帰家せざれば飼育するを嫌ふ風あり。自然牡犬は野犬の如くなり居るもの多し。

 

城ヶ峠を下り井野口に至り、周布治通過し大麻山に至る。阿佐山を猟場とする獣猟師より中型淡虎斑赤毛の栃と名づく牡を譲り受く、この地方野生犬誠に多く、土地の人々は山犬と称するもその仔を飼育するを聞けば濃茶色との事故、家犬の野生化せるものなるを知る。

 

島根県下は我国古来文化と密接なる関係ある地にして、古来よりの体型を保有する日本犬もまた、この山間地に残存し来りたるものと思われる。当地方の日本犬を概括するに一般に耳小さく、尾太くして左または右に巻き、短尾は僅少なり、四肢強健に毛質剛にして密、ムク毛は極く稀なり、中型犬には虎斑を有するもの多く、小型犬には、赤、黒、淡赤、胡麻毛等多く白は少し。近来激減甚だしく、土地の警察等においても保護を加えつつある由を聞く。

 

 

日本犬保存会創立五十周年史(昭和9年より)